抱えている問題を解決するための曲だと思って-指揮者 水野蒼生(Part.1)

跳ねる柑橘(@hoppingnaranca)です。
本ブログではこれから不定期にインタビューを掲載していきます。
対象は、正直どんなジャンルの方でも話を聞いてみたいのだけど、まずはクラシック音楽家。
昨年、初演を成功させたオーケストラOrchestra Ensemble Tokyo(O.E.T)
その代表 水野蒼生さんに、初演修了後にインタビューをしていました。
(なぜこんなに時間が経ってリリースなのかは追及しないでほしい)

2時間以上にわたりお話を伺った結果、なんと4部構成。笑
まず第1回の本記事では、O.E.Tの初演を終えての感想などをお話しいただきました。


2017年7月20日。O.E.Tは渋谷での初演を成功裏に終えた。
水野さんはこの初演で何をつかんだのだろうか。

ーー初演を終えての手応えは?

水野
いまやれるかぎりの最大限のことが可視化できたと思っています。

その点では納得・満足していて、じゃあこれを材料にどう次のステップにあがろうか、というのをいま考えているところです。

©Keisuke Mitsumoto

嬉しかったのは、来てくれたお客さんのなかで評価がいろいろだったことです。

Twitterでエゴサーチしたりもしたけど、高評価がものすごく多くて。そのことはとてもありがたいことで、しかもその中で皆さんそれぞれの感想が全然違う。

大井駿が振ったトリプルコンチェルトが一番よかったと言っている人もいれば、僕が振ったエロイカが良かったって言っている人もいるし。

いろんなレベルというと失礼かもしれないけど、クラシックファンの感想もあれば、クラシックを聴いたことがない人のピュアな感想もあって、そういうものがいっぺんにあの夜に可視化されたっていうのは、本当にデカいことだなと。

ーーエゴサで感想を探す。それを自然に行うのが彼の世代らしいと思う。私なら、ちょっとこわい。
そんなエゴサをして、なにか予想外のリアクションはありましたか?

水野
予想外っていうのは正直あまり無かった。自分の中でまずある程度の手ごたえがあったから、これはみんなにもちゃんと届いただろうっていうものがあったので、そこまで(予想外)っていうのはなかったです。

でも「え、そこまで感動してくれたの?」みたいなのはありました。
「あの演奏が頭から離れなくて、ずーっとあれからエロイカばっかり聴いてる」みたいなTweetをしてくれた人もいたし。

それから先週(9月初週ころ)、ぜんぜん面識のない人にフォローしていただいて、その人のアカウントに飛んだら、9月に入ってから「そういえばO.E.Tめっちゃよかった」みたいなことを言ってくれていたり。

たいていそういうのって、ああそういえばあんなのもあったねって、もう1か月半たつこの時期だと忘れちゃうと思うんですけど、いまだにそうやって反芻してくれる人がいるっていうのはそれだけインパクトを与えられたのかなって。っていうのがありましたね。

でもぶっちゃけると僕らがやったのって、本当に普通の、当たり前のクラシックコンサートだったんです。あのコンサートで新しいこと、奇抜なことってなにもしてないんですよ。

だけどちょっとビジュアルを変えてみたり、チケットの売り方を変えてみたりっていうことだけなので、でもそれだけでこれだけ変わるんだよっていう。

©Keisuke Mitsumoto

お客さんの客層も普段のクラシックコンサートとは違っていて、来てる人たちの雰囲気っていうか、ただコンサートに来てるだけの雰囲気とは全然違いましたね。

なかでも本当にすごい嬉しかったのが、公演前にメールをいただいたんです。3歳のお子様がいる方からメールがきて、「子どもがオーケストラ、指揮者が大好きで、連れていきたいんですけど大丈夫ですか?」っていう内容で。

「もちろんです!ぜひ来てください!」って返事をしたんですね。そしたら僕のYouTubeの動画とかをいろいろ見てくれたみたいで、指揮のまねをずっとしてるっていうお話もメールでいただいて、本番も楽しんでくれたっていうことも教えてくれて。そういうお話はすごい嬉しかったですね。

だから(クラシック音楽を)届けられる範囲が、僕たちが今回やってみた些細な違いだけで一気に広げられたっていういうことは、むしろこれから先ももっとやりがいがあるなって手ごたえがありました。

正直言うと、僕は高校生くらいの頃からこういうことをずっと考えていたんです。どうしてクラシック界はこんなに格式高いんだろうって。僕は小さいころからずーっとクラシック人生を歩んできたわけじゃなくて、10代の途中から入った人間なんですけど、どこか居心地の悪さみたいのを感じていたんです。

でもずっと考えていたことを形にするって怖いところがありました。頭の中にずっとあったプランが可視化されちゃうわけです。それでもし人が全然集まらなかったら、自分の信念とか自信が全部崩れちゃうじゃないですか。

だからそうなったらどうしようってすごく怖かったんですけど、でもこういう結果になって。ある意味で正しかったって思えて嬉しかったですね。あとは何より演奏者が楽しくやってくれたっていうのも嬉しかったですね。

ーー10代の頃から抱いていた構想を実現させ、ある程度の手ごたえをつかめたんですね。初演メンバーの公演前後の反応はどうでしたか?

水野
全員の声をちゃんと聴いたわけじゃないですが、公演後をしてネガティブな反応はなかったです。どんどん親交を深めてくれていたみたいで、みんなが繋がってくれたっていうのがすごい嬉しいことでしたね。

©Keisuke Mitsumoto

本番後の打ち上げも盛り上がりました、会場そばの居酒屋で。すごかったなー(笑)

ーークラシック音楽をやっている人自身も品のある人たちの集団というイメージを持たれることが多いですよね。だけど実態は…

水野
実際、「のだめ」に描かれてるアレ(打ち上げの激しさ)は正しいです(笑)でもあれよりひどいときもいっぱいありますよ!

ーーそこのところの詳しくはのだめカンタービレを読んでもらうとして……
それだけのエネルギーが演奏者の体に秘められているということですよね。演奏は体力勝負というのを聞いたことがあります。体育会系が試合にぶつけるのと同じくらいのパワーを公演でぶつけているとも言えませんか?

水野
そうとも言えるかもしれない。結局ミュージシャンとアスリートの違いって、あんまりメンタル面では違いはないと思います。

絵画や彫刻のような美術方面のアーティストの場合は製作期間が長くあって、そのあと発表の時はもう全てが終わっている。でもミュージシャンはアスリートと同じで、試合/公演の時にエネルギーを発揮するやり方。だからミュージシャンとアスリートと一緒のメンタルだと思います。


.ーー奏者がそろってやれたのが5日間とのことでした。
指揮者の水野さんは音楽家だけでなく代表として運営サイドの中心。運営面はいつぐらいから動いていたんですか?

水野
1月からなんとなく構想があって、それを本気でやろうかって話になったのが2月でした。このとき日本に一時帰国したので、とりあえずホールはおさえました。

それからメンバーも少しずつ集まり始めて……って少しずつ進んでいたので、組織化がいつできたかっていうのは正直ないです。

ロゴを考えるとかはやってましたけど、クラウドファンディングをやるとかも同時進行で、メンバーも早くから決まってる人に不足のパートで適任な人を探してもらってってかんじでした。すごい流動的でしたね。

O.E.Tロゴ

やっぱり僕自身の仕事がとても多かったです。

今回は時間も組織もなかったし、僕はすぐザルツブルクに帰ってしまったし、メンバーも最初からいたわけじゃないので、趣旨を全員に丁寧に伝えるとかができませんでした。

だからクラファンにしろ、わかりやすくするには自分がアピールして、アイコンになるしかないなって思って。だから僕の個人事業としてってことで、表に立ってやりました。

7月に日本に帰ってきてからはもともと馴染みのあるメンバーが仕事を手伝ってくれたりして。まあその期間っていっても2週間くらいでしたね。でもその間は本当に助かりました。

帰ってきてから本番が近づくにつれてどんどん仕事量は増えていくわけで、二徹の日とかもありました。パンクしそうになった時に「やるから」って言ってくれたりして、それがとても助かりました。

ーー今後第2回公演やその先に進んでいく中で、そこ(運営面)は改善の余地ありですか。

水野
僕はディレクションを出すだけであとは運営メンバーに任せる形にしたいですね。なのでいまはマネジメントっていうか、これから運営面のチームをかっちり作っていこうって考えています。その辺は分担させないと運営として成り立たないから。

学生オケだったらやむなしですが、やはり演奏者は演奏に責任を持ってもらいたいからそれだけに専念してもらいたいんです。

僕は一応運営と演奏どちらにも携わるけど、もっと音楽面に身を置きたいですね、アーティスト側に。だから今後はマネジメント、マーケティング側のチームをがっつり作るっていうのに力を入れてやっていきたいです。

あとはメディア関係とその素材を充実させたいです。前回(クラファン時)は全然素材が無かったんですよ。僕はザルツブルクだし、メンバーは一度も集まったことないし、これどうすんの?って。

ーー聞けば聞くほど、よくこの手札の無さでクラファンに踏み切ったなと正直思います。

水野
本当そうですよね、今考えると。
プロモーションしようにも「オケないじゃん!」っていう。

僕がいて、オケやるよ、渋谷でやるよって言う…今考えるとそれだけですよね。
めちゃめちゃ情報量が無い中で案を出し合って、とりあえずああいう形でフライヤーができて。

イラスト:ゆの(@_emakaw)

とにかくフライヤーのインパクトは大きかったです。
いろんなところで話題にもなりましたし、描いて下さったゆのさん(@_emakaw)には本当に助けられました。

ーーとにかく挑戦という言葉が似合う初演でしたね。

「そんなことやって意味あるの?」って思われそうなことでも、やってないことだったら自分で試さないとわからないじゃんって思うんです。

再現芸術をやっている身でこういうことを言うのもアレですけど、僕がやりたいことってゼロからものを作ることなんです。
ある意味でそれって再現芸術じゃないって言われちゃうかもしれないけど、僕がやりたいのはある意味プロデュースに近い。

指揮者ってある意味でプロデューサーでもあるって思っていて。モーツァルトっていうアーティストがいて、それを21世紀にプロデュースする。
じゃあ21世紀にあうようにどうプロデュースするかってことだと思うんです、極論を言えば。

ーーモーツァルトをプロデュースですか!

極論を言えば、ですよ。
でもそのために、僕はいま客観的に曲を見るようにしています。それはとても難しいんですけど、客観的に曲を見て、そのなかでどういうところに目線を向けるか。宝探しのように曲を見る。

ここはフルートがきれいな旋律を奏でるんだけど、実はそこでヴィオラがめちゃめちゃ面白いハーモニーをこの音で作りだしているよねって。だったらこっちをもっと出してあげたい。
そのフルートの音はぶっちゃけちゃうとメインのメロディだから誰にでも聴こえる。でもこれ(ヴィオラ)は探らないと出てこない。そういうのをもっと出してあげたいっていうか、そういう宝探しをするように譜面を読んでいくのがすごい楽しいですね。

それって原石を削るようなもので、プロデューサー的な思考なのかなって思います。だからゼロからイチを作るっていうのは、環境面でのゼロからイチを作るってことだと思うんですよ。

今の状況をゼロって言っちゃうのも変な話ですけど、かなりゼロに近いと思うんです。21世紀っていう中でこれだけメディアが発達して、他のいわゆるメジャーなアーティストがありとあらゆるメディアを使って自分たちをアピールしている中で、クラシック何やってんの?って。
まだこんなことやれてないよねってことがいっぱいあるから、それをひたすらやっていきたいって。

これは自分が若いからこそできることかもしれない。かつ日本に身を置いてないからこそできることかなって。
僕は日本のクラシック界にとっていまめちゃめちゃ部外者なわけなんですよ。部外者っていうか、いい意味で何にもとらわれていないというか。日本の大学も出てないから、しがらみもないし、何でもできる。

ーー部外者ってことはコネ(コネクション)もない。
コネって言葉が悪いけど、必須の業界は多いです。クラシック界もそう言えますか?

水野
いわゆる既存の環境内でやるなら必須じゃないでしょうか。僕はどちらかというとそこよりもクラシック音楽って畑の隣に新たな畑を作りたいという考えの人間なんですよね。
ここ(既存のクラシック界)を壊したいとかではないです。育ってきた場所だし、それは壊したくない。いまのままで素晴らしいものだから、そこへのリスペクトはあります。

だけど、それに多少のハードルを感じる人もいるんだってこともわかっているので、だったらそのハードルを感じる人のために、すぐ隣にもう一つ小さい畑を作ってあげて、そこから人が(既存のクラシック音楽に)流れやすくするようにしてあげたい。別の入り口を作るってことですよね。

僕ら(O.E.T)は再三「クラシックの入り口を~」って言ってたと思うんですが、ある意味クラシックの入り口なんてどこにでもあるんですよね。

ラ・フォル・ジュルネってあるじゃないですか、GWにやってる、国内最大のクラシックフェスです。

著者注:ラ・フォル・ジュルネ TOKYO フランス ナントで毎年開催される音楽の祭典ラ・フォル・ジュネの日本版。2005年の初開催以来毎年行われており、通常のクラシックコンサートでは入場できない未就学児の入場も可能という、家族で音楽を楽しめるイベント(https://www.lfj.jp/

小6の時かな、日本での第1回があって。その年から留学するまでの10年間皆勤で通いました。最初の2,3年は家族で行って、それからは友達とだったり一人でも行って。今年こんなのある!こんなのも!って。

自分でこれとあれとってチケットを買っていくっていうのをやってて気づいたのは、あれって本当にクラシックの入り口だったなって思うんです。無料プログラムや野外でのステージも多くて、本当に誰にでも開かれた入口だと思います。

他にも「題名のない音楽会」あれも入口だと思います。ほかにもクラシック系の番組だとか、「のだめ」もそう。入り口なんていくらでもあったんですよ、いまでもそう。

ただ、それっていうのは、ありとあらゆる人に開かれてしまっている。万人を対象にしたマーケティングっていうのは、ある意味ありとあらゆる人は集まらない結果になってる。それってクラウド化されちゃって、どの層がどんな傾向にあるとかがわからない。
結局そこで目立つのは最初から一定数いるクラシックファンであり、一定数いるファミリー層……とくにラ・フォル・ジュルネなんてそうですよね。「題名のない音楽会」はやってる時間が9時とかで、その時間テレビを観る層って決まっちゃってるって思うんですよ。だからO.E.Tでは「クラシックを聴かない層」だけにペルソナを絞って、そこにガッて向けていきたいんです。

「誰にでも開かれた」って言ってるけど、どちらかというと10代後半から20代~30代前半に絞りたいんです。クラシック音楽のよさっていうのは、「ありとあらゆる感情を持ってて、ありとあらゆる景色・情景を表現できる」音で何かを表現するっていう点では、音楽の中で最も表現力が高いところだと思うんですよ。

ーー多感な世代にこそその表現力の高さがマッチする、ということですか?

そう思います。多感な10代後半っていう世代にとってもっと入り込める世界のはず。僕自身高校生の時とかに「こんなのもある、あんなのもある!」ってひたすらいろんな素晴らしい曲を聴いて感動しまくってました。
自分にあてはめちゃうのはどうかと思いますが、だからある意味多感な世代にフォーカスをあてるっていうのは間違いじゃないかなって。その時期に聴いていたら何か新しい未来が見えたりするんじゃないかなって思っています。

あとはクラシック音楽のレジェンドって、ベートーヴェン、モーツァルト、バッハ、シューマン、ショパン、リストとかいますが、みんな時代の荒波にもまれて必死に生きてきた人たちで、わらをつかむ思いで生きてきて縋ったものが音楽だったっていう。そういう人たちなんです。
生きるためというか、自分を保つために音楽をやっていた、音楽という手段があったからベートーヴェンは死なずに生きていくことができた。そういう話もあるんです。

今の20代、生きるの辛いですよ、絶対。僕自身のことを考えても、これから留学から帰って東京で生きるってなったらマジかよ……ってなります。でもそのなかで絶対、何よりも糧になる音楽がクラシックだと思っていて。

オペラとかだと少し話が変わるけど、オーケストラの作品は聴くうえで前提知識は全くいらないって思っているんです。聴いたまま解釈してほしい。主な作品は歌詞がないぶん、聴き手はその音楽の中身を自分に寄せて解釈してほしいんです。
たとえば今なにかの問題を抱えていて、なにかクラシック音楽を聴くとしたら、その曲は抱えている問題を解決するための曲だと思って聴いてほしいんです。自分がいま抱いている思いに寄り添う音楽だと思ってほしいんです。そう思える音楽だと思うんです。

ある意味で、歌詞もないめちゃめちゃ抽象的な音楽かもしれない。数百年も昔に描かれた音楽ですから。作り手はとっくに死んでますし。その人がもし生きていたとして…ちょっと違うけど、久石譲さんの曲を聞いたらやっぱりその映画の情景が浮かんじゃうじゃないですか。坂本龍一さんの曲を聞いたらやっぱり映画だとか、眼鏡で白髪の顔が浮かぶじゃないですか。でもクラシックの場合作曲家ははるか昔に死んでるんですよ。

だからどう聴こうが、勝手なんです。ここのハーモニーがどうとか、ベートーヴェンがこのとき誰に恋していてその人に向けて書かれたとか、聴く人にとってはぶっちゃけどうでもいいんですよ、マジで。だから好きに聴いてほしいんです。

ーーかしこまって聴く必要はない、と。

僕らアーティストはもちろん前情報というかそういう知識を、その作曲家、レジェンドたちへのリスペクトを込めて、ここはこうなってるあそこのパートはこうだとか知ってないとダメです。
でもそれは僕らの仕事なんです。それを聴衆に強制はすべきじゃないと思っていて。もちろん、そういうところからハマってくれる人もいると思うから、前情報を学んで聴くのが間違いとは全く思っていません。
言いたいのは、いろんな可能性があるってことです。だから前情報何もなしで「これは俺のための音楽だ!」っていう風に聞いちゃってもいいと思うんです。

その一方で、その作曲家、レジェンドたちの逸話を探りながら、これはAとBがどうなって、どうなったときに生まれた曲で……とか、このメロディは何を象徴していて……とか、そういう楽しみ方ももちろんある。どっちでもいいんです。
だからまずクラシックを知らない人たちには、まず「これ俺のための音楽」から入ってもらえればって思っています。

それから、いま文豪の名言みたいな本がよく出ているじゃないですか、超訳ニーチェとか。実はクラシック音楽界もあれら並みに、あるいはそれ以上に歴代作曲家たちのことばだったり、逸話だったりがめちゃくちゃ面白いんですよ。だからそういうところから入ってもらってもいいかもしれません。

ーー超訳ベートーヴェン、とかですか?

そう。たとえばそれこそベートーヴェンが書いた音楽ノートっていうのがあります。あの人は日記を書いてたんですけど、その日記に何を書いてたかっていうと、自分の折れそうな心が折れないように、自分が沈んでしまわないように折れないように焚きつける、奮い立たせる言葉を書いていたんです。「俺はまだやれる!俺はまだこんなもんじゃない!俺には音楽がある!」みたいなことをガンガン書いてモチベーションを保ってたんですね。
それっていま僕が読んでもめちゃくちゃ刺さる。そういうのっていまを必死に生きる僕らの世代とそのすぐ上下の世代、つまり今を必死に生きてる人たち全てに響くものだと思っていて、そこからクラシックに入るっていうアプローチもあるんじゃないかって思います。

クラシックは聴く人のための音楽。そんな思いで若い人にもぜひ聴いてほしい、むしろ若いうちから聴いてほしいと語る水野さん。自身もそうした場を作ろうと活動を続けている。
次回Part.2は、現代の表現のあり方について、そしてその中でクラシック音楽というジャンルで水野さんはどうアプローチしていくつもりなのか、想いを聞きました。

Text by:跳ねる柑橘(@hoppingnaranca

 

 


水野 蒼生(Aoi Mizuno)

©Keisuke Mitsumoto

1994年生まれ。幼少期からピアノを、12歳でヴァイオリンを始める。
2009年から2011年までの3年間、夏に金沢で催された井上道義氏の指揮者講習会に参加し、そこで初めての指揮の手ほどきを受ける。
2011年には同講習会の優秀者に選ばれリレーコンサートに出演し、IMA弦楽アンサンブルを指揮する。
2013年夏にオーストリア国立モーツァルテウム音楽大学にて催されるサマーアカデミーに参加。指揮をペーター・ギュルケ氏に師事。ディプロマを会得。
2014年秋から同モーツァルテウム音楽大学に入学。オーケストラ指揮と合唱指揮を専攻。
2015年夏にザルツブルク州立歌劇場のカペルマイスター:エイドリアン・ケリーの下で
副指揮者としてブリテンのオペラ「ノアの洪水」を指揮。2016年にはザルツブルクの劇場「Oper im Berg Festival」にてモーツァルトのオペラ「魔笛」を3公演にわたり指揮、好評を博す。2016年秋よりブラウナウ・ジンバッハ・楽友協会の副指揮者に就任。
これまでにバートライヒェンハル管弦楽団、南ボヘミア室内管弦楽団、ハンガリー国立ブダペスト歌劇場管弦楽団など、多くの欧州のプロオーケストラを指揮する。
現在オーストリア国立モーツァルテウム大学のオーケストラ指揮、合唱指揮の両専攻に在籍。オーケストラ指揮をハンス・グラーフ、ブルノ・ヴァイル各氏に、現代音楽指揮をヨハネス・カリツケ氏に、合唱指揮をカール・カンパー氏に師事。
O.E.T(オーケストラ・アンサンブル・東京)代表。東京ピアノ爆団主宰。